2017-03-30

夢へ駆け出す



「短歌研究」最新号の荻原裕幸「誰かが平和園で待つてる」。巷の噂を聞くにナゴヤの炸裂するネタ系作品かと想像していたのですが、読んでみたらぜんぜん違いました。これ、なかなかに含みのあるタイトルです。

一読してわかる特徴を書いておくと、まずほとんどの歌が初句7音で始まります。次に歌人の平均と比べて桁違いに季感が意識されています(寒をぶりかえしながら春の訪れるさまが、全首季語入りで展開されている)。それから作品を通しで読んだときの、一本の糸をすうーっとたぐるような抑制の利いた音楽性。あとは横の糸(連作としての質感)がぴしっと揃っていることでしょうか。ま、ひとことでいえば大人の作品です。

真夜中の書斎を出ればわたしからわたしを引いただれかの嚔
結婚をして何年だつたか咲いてゐる菜花のまざる菜花のパスタ
サンダーバードの書体で3と記された三階のかたすみは朧に
辻くんと来てるんだよと誘はれるその辻くんの春を見にゆく
(荻原裕幸「誰かが平和園で待つてる」)

世界を実感として得られないまま送る日常と、そんな「私」に日々根気よく実感を授けようとする世界の側とのかけあいは、荻原作品に一貫したモチーフ。ラストの「平和園」の歌は、夢から醒めてまたもうひとつの夢に向かって駆け出してゆくかのごとく母親にミルクを届けにゆくジョバンニの姿を思い出しました。単なる生活のワンシーンとしての平和園に精巧な夢を感じることになるとはまさか思っていなかったので驚きです。

2017-03-29

空をかこう




空の素敵さは、その〈大いなる無名性〉にあります。

では海はどうでしょうか。

うーん…。海は無名ではなさそう。海を眺めていると、そこに〈たったひとつの大いなる名前〉を想いますから。その名前を特定することは決してできないものの、海には〈拭われた痕跡〉が確かにある、というのが私の感触です。

そんな海の上に広がる、はなからなにもない空。空の想像。空の音楽。今は春のせいか、ふだんよりもずっと空に近づきたい気分。

木をかこう空をかこうとさそわれる  佐藤みさ子

2017-03-27

「※ここは本を買う場所ではありません。」開催



3月29日から4月2日までの期間、出張本屋さん劃桜堂と赤坂の選書専門書店双子のライオン堂とのコラボイベント「※ここは本を買う場所ではありません。」が開催されます。

劃桜堂は、若者が本と出会う機会を増やすことを目標に活動してる出張本屋さん。今回のイベントでは、日に3種類のワークショップとパーティーが用意されているそう。「もちろん『フラワーズ・カンフー』も売りますよ!」とのメッセージを頂いたので、ここで宣伝いたします。

イベント会場となる双子のライオン堂も、作家を始めとした26人の著名人による選書棚を展開している非常に変わった本屋さん。店主の竹田信弥氏は他にも色々な活動をされていて、最近では文芸誌「草獅子」創刊が話題となっています。

で、この「草獅子」ですが、面白そうな雑誌です。創刊号の特集はカフカで、短詩は井口時男、堀田季何、暁方ミセイといったラインナップ。この雑誌を手にとってみるためだけにイベントに寄りたくなります。

2017-03-26

影絵





天気の良い休日。

軽く散歩をし、家に帰って洗濯物を干す。干しているとき、ふとうしろを振り返ったら、同居人が白い壁に映った吊り下げ型ランプの影をスマホで撮影していた。

からすうりブルーノムナリレオレオニ  高橋洋子

2017-03-25

『ただならぬぽ』についてのメモ(2)



・(1)で書いたような特色が表に出ていない(内在化されている)句においては、自己投企的な言葉の組み立てが意識されているようだ。
(※投企(とうき)とはハイデガーの用語で、この世界に投げ出されてある人間(被投的人間)が、常に自己の可能性に向かって存在しようとすること、自分の存在のしかたを自分で創造すること、を意味する。)

・この投企は、自己の在り方を「選択」する「自由」と「責任」といった概念を呼び寄せるが、この図式はそのまま田島の作句の姿勢にも反映されている。

・もし『ただならぬぽ』の批評を書いていたら、メモ(1)が第一部(基礎論)で、メモ(2)の上述部分が第二部(展開論)になっていた。実際、田島句の「自分の存在のしかたを自分で創造する」といった投企的性格はざっと整理してみるだけでも読み物として面白いと思う。

・『ただならぬぽ』における〈世界の肯定〉は作者の倫理性(「選択」「自由」「責任」)の表明でもある。これに関しても書く余裕がないのが残念。さわり、というのとは少し違うけれどこちらではこの倫理視点からの分析を3句ほど試みているので、よろしければご一読ください。

・以下はくだらない話。本を読むときって、ぼんやりいろんなことを考えてるじゃないですか。それで、ぼんやりしてたら、

ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ
光るうどんの途中を生きていて涼し

の二句が、ふとあたまの中で並んだんですね。そのとき思ったのが「このふたつって、舞台空間とイメージ展開が同じだよなあ。もしかして、あれ? ただならぬ海月って精子のイメージ? ってか完全にかぶるよね。うーん精子の旅ってたしかにワンダーだけどさ。でも単純すぎる!」ってこと。ま、こんなことを平気で書けるのは、どちらも本当に素敵な句だからなんですけどね。

『ただならぬぽ』についてのメモ(1)



時間に余裕ができたら田島健一『ただならぬぽ』を批評しようと思っていたんですが、今日カレンダーを見たら夏まで予定が埋まっていることに気づいた。そんなに先だと、時間ができてもモチベーションの方がどうなっているかわからない。しかたがないので批評は保留にし、ブログにメモ的感想を書くことにします。

* * *

・田島の句についてはすでに「ハロー・ワンダーあるいは道徳の原理」という文章を書いたことがあり、今回の句集を読んでも印象は変わらなかった。曰く「彼の作句の基本は、この世界を満たす『驚き』を捉えることにあり、またその作品には、彼の感じとっている世界と自己との関係が大抵わかりやすく畳み込まれている」。

・大体にして『ただならぬぽ』の「ただならぬ」は「超凄い!」という意味だし、さらに「ぽ」も驚異を象徴するサウンドだ。

・再度シンプルに言うと、『ただならぬぽ』では以下の4要素から構成されるさまざまな〈驚異〉が描かれている。すなわち、

1.「世界」の
2.「真理・知」を
3.「直接的=無媒介的」に
4.「見る・体験する」

である。(※ここで言う「直接的=無媒介的」とは「対象を言語・概念によらず直観的に把持する」という哲学用語。田島の句に「無言」すなわち反言語をモチーフとした句が一定数存在するのはこの特徴に由来する。)

・また心象を描くにあたり、使用頻度が圧倒的に高いのが以下の語彙系。

1.「明るさ」「眩しさ」「清さ」「美しさ」
2.「爽快」「壮健」「明朗」「素直」
3.「純粋的」「無垢的」「未来(前進)的」
4.「偶然的」「神秘的」「静謐的」

・『ただならぬぽ』の最初の連作「記録じんじつ」を全句引用する。

翡翠の記録しんじつ詩のながさ
端居してかがやく知恵の杭になる
玉葱を切るいにしえを直接見る
口笛のきれいな薔薇の国あるく
枇杷無言雨無言すべてが見える

「しんじつ」「かがやく」「知恵」「直接見る」「きれい」「無言」「すべてが見える」といった世界観はそのまま田島の素直な欲望である。また『ただならぬぽ』には4句目のような阿部完市風の句が一定数見られるが、完市の句が意味の希釈をめざすのに対し、田島のそれは「倫理」をめぐっている点に相違がある。

2017-03-23

ペンギン文庫の旅、鳥、そして泣くこと。




旅する本屋のペンギン文庫さんから「3月26日(日)の11時〜16時、静岡県沼津市のイベントに参加します!」とご連絡を頂く。会場はweekend booksというこれまた素敵な空間です。

このイベント、他にも小物作家さんやお菓子やさんなども参加するようです(詳細はこちら)。個人的に「むむむ」と思うのは、羊毛フェルトでつくった鳥と多肉植物がじわじわくるtorikomonoこと岩田千種さんの作品。生で見てみたい。

http://weekendboo.exblog.jp/

あ。鳥で思い出した。きのうの日記の「泣く」という表現について。わたしにとって「泣く」は「鳴く」とそんなにかわらない、というか、まるきり一緒だ。

泣くとは世界を発見することのよろこび。悲しいのではなく、じーんとする、ということ。すばらしいことが、こんなにいっぱいあるんだねってこと。ただ自分はどういうわけか人間稼業をしているから「鳴く」とは言わないだけ。きゅん。

歡びはかなしみよりも深きかとかなしみが問へば歡びは泣く
小池純代

2017-03-22

無の手ざわり





砂浜にいると、なにもない空中に圧倒的ともいえるような物質感があってびっくりするけれど、あれは空中をつらぬく光のせいで〈無の存在〉が実感されるのだとおもうんです。

光の輝きは無をあぶりだす。そこにたしかに〈非在が在る〉ことをあらわにする。笑っちゃうくらい。泣けちゃうくらい。

そういう話をね、したいんです。

なきひとはひかりをとほしゐたりけりこのわたくしはひかりをかへす  小池純代

2017-03-19

きんぽうげと聞くと



あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ  種田山頭火

ついさっき、きんぽうげについて調べていたら、清水哲男が掲句の鑑賞と称して「山頭火のファンには、圧倒的に女性が多いという。男でなければなし得ぬ「放浪」に、ほとんどフィクションに近いロマンを感じるためではなかろうか」と書いていたんですが、これ本当ですか? 女の人で山頭火にとりわけ入れ込んでる人なんて聞いたことないんですけど。web上でも、山頭火のことを書いているのって男性しかいないくらいじゃん……。

私の世代だと、山頭火という言葉から山上たつひこの『がきデカ』を思い出す人が結構いるはず。で、あのマンガの終わり方がまさに「男でなければなし得ぬ『放浪』に、ほとんどフィクションに近いロマンを感じ」ているノリだったせいで、わたしは「山頭火好き」の男性を一種の中年思春期みたいなものだと思っていました(あ。中年思春期を全否定しているわけではありません。念の為。あと山頭火の俳句も素敵です)。

あ、そうそう。きんぽうげの話。

野一面のきんぽうげって、きれいですよね。きれいすぎて好きというのが恥ずかしいほど。スイトピーなんかはその手のポジションを通俗的に担っている花だから、こちらも軽薄に好きと言いやすいけれど、「きんぽうげが好き」と口にするのは、他人の前で裸になってしまうような気持ちがしてしょうがない。これって変かな? もし変だとしたら、それはわたしがこの花の名前を聞くと、かならず下の歌を思い出すせいです。たぶん。

きんぽうげ丘をうづめるきんぽうげすぐにもどるといつたあのひと  深森未青

2017-03-18

「ごほうびマルシェ」開催





またまたイベントの告知。3月19日(日)と20(月)の二日間、仙台駅西口パルコ2脇歩行者通路で「ごほうびマルシェ」が開催されます。このイベントに『フラワーズ・カンフー』を仕入れてくださっているペンギン文庫さんが出店するとのこと。仙台付近に住んでいらして『フラカン』を手にとって眺めてみたい方は、どうぞこちらへ足をお運び下さい。

で、このペンギン文庫さんですが、旧型のトヨタ「クイックデリバリー」を使用したこんな夢のような移動式書店なんです。ショップカードも紐つき栞のカタチをしていて、かわいい。うーん。自分もこんなお店してみたい!

2017-03-13

「第2回瀬戸内ブッククルーズ」開催





ええと、3月19日(日)の10:00~16:00頃、岡山大学津島キャンパス内の「Jテラスカフェ」にて「第2回瀬戸内ブッククルーズ~小さな春の本めぐり~」が開催されます。これは瀬戸内を中心とした書店、雑貨店、飲食店など23の販売ブースと、本を楽しむための企画とが盛りだくさんのイベントなのだそう(こちらが前回の様子)。

当日は、日頃『フラワーズ・カンフー』が大変お世話になっているHAHUさんとBriséesさんも参加なさる模様。とりわけBriséesさんには大量に出荷している(しかも全冊、一句を添えたサイン入りだったりします)ので、この日『フラカン』が出現する可能性もあるかもです(と、勝手に想像)。

2017-03-12

新しいチョーク



同居人のチョークを狙っていたことが本人にバレてしまう。

で、見つかってもじもじしていたら「それくらい自分で買いなよ…」と、フライングタイガーでわたし用のチョークを買って来てくれた。


あまり繊細な絵には向かないカタチである。いいんだけど。

2017-03-11

春のファッション





散歩していたら、女の子の集団が春らしいファッションで立っていた。あまりにかわいいので、遠くからこっそりスマホを向ける。すると女の子たちは一瞬でわたしに気づき(なぜ?)にっこり笑ってくれたので、近くに寄ってもう一枚撮影。

「ぽ」本と「ぽ」生物。





朝日新聞に作品が掲載されて24時間経たないうちに総勢4名もの方からメール。自分の俳句人生でかつてなかった盛り上がりだ。ところが全員口をそろえて言うのが「著者近影がプロっぽい!」との意見。へえ、みんな同じこと思うんだなーと感心していると、またとある別のスジから同じ感想を聞かされる。

そうこうしていると、さらに別のスジから「プロは、ばくぜんと目じゃなくて、眼球の表面にピントを合わせる。この写真撮った人、ほんとプロですね」。

はい。プロです。

入交佐妃さんが神保町のカフェで撮ってくれました(角川俳句3月号の写真も)。この日の彼女はわたしのために「屍派に負けない遺影を!」といった意味不明の革命的スローガンを掲げてくれまして、それは、まあ、いいんですが、プロに撮ってもらうせっかくの機会にもかかわらず、ひさしぶりに二人で遊んだせいで興奮しすぎてしまい遺影には絶対使えない写真ばかりが山のように生まれてしまったのは、今となっては少しもったいないことをした気が。

で、本日の写真は田島健一『ただならぬぽ』と、20年くらい前に入交佐妃さんから貰った「ぽ」っぽい生き物の、セットメニュー風。

2017-03-09

竹井紫乙の句集



が他の川柳関係の書物とともに、大阪の居留守文庫に入ったもよう。



紫乙さんは『ひよこ』『白百合亭日乗』という句集を出していて、このブログでは『白百合亭日乗』から幾度か句を引用しているのですが、実はわたし、本としては『ひよこ』の方が好きなんですよ。とくに時実新子による選句の、的確さと寛容さとの両立が。

わたしにとっての『白百合亭日乗』は一句ごとに世界が完結した作品集。一方『ひよこ』は全て読み終わったときに作者の性情がそっと胸に残り、またそれが本としての佇まいにもなっている感じ。

うちの子になるかと言って消えた人
爪切ろう何をするかもしれないし
お別れに梨を一緒にかじります
本当にどこでもドアがあるみたい
鳥になるおでんの匂いする路地で
大声で話しかけたくなる雲だ
運命が変わるテレビを見てしまう
幸せで布をひらひらさせている
正しさに耐えて時計は生きている
どうしてもスカートはいて出たい旅
大人には大人の水がある旅路
長旅を支えてくれた絵を仕舞う
(竹井紫乙『ひよこ』より)

2017-03-08

うっとうしいもの。





春になるとうっとうしいもの。檜。香水のベースにするにはいいけれど、大量の花粉を飛ばすのはかんべんしてほしい。死ぬから。

榛。ハシバミの実はクルミやアーモンドやドライレーズンとまぜて毎朝食べるくらい好き。が、罪深いほどに花粉を飛ばすのはいかがなものか。

ハンノキとオリーヴ。その葉が銀色に波うつさまはさながら夢のごとし。が(以下省略)

そしてポプラ。ポプラはかわいいんだけど(略)

サハラ砂漠の黄砂。黄砂の到来は、ある日いきなりベランダが黄色に染まるからすぐわかる。うっすらと積もった砂は目にとてもきれいだ。だから思わず眺めて、そして大量の涙をながすことになる。今年こそは騙されないようにしたい。

2017-03-05

花咲く80年代の蔭に





関悦史さんと話していて、

「今度出す句集が『花咲く機械状独身者たちの活造り』ってタイトルなんですけど…」と言われたので即座に、

「デュシャン&橋本治ですね」と返したら、

「……あ。キンピラゴボウ!」と膝を叩かれてしまい、ええ?無意識だったんだ?と思わずこっちが驚いてしまった。

〈花咲く○○たちの料理名〉なるフォーマットでBL作品まで収録されている以上、デュシャン系のスパイスがどんなに濃くても、ベースは『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』に決まってますよね。実際この句集、80年代の物量感が飛花落花のごとしです。

ヤベエ勃つたと屈むお前と春の暮  関悦史

2017-03-04

ラクガキ、ガラクタ



ひさしぶりに同居人の机の前にすわってみたら、ふだん見えないところに素晴らしいものを発見してしまう。これです。


まだこんなに入っていた。


これだけあったら長いこと困らない。海辺の石にラクガキしようっと。うふ。あと棚が3Dプリンタでつくった奇妙なガラクタで埋まっていた。もともとここにあったものは、一体どこへいったのか。